Album Discography
1974〜1980 | 1980 〜1990 |1991〜2000 | 2001 〜
best album 「Motions & Emotions」
16Y-21(日本フォノグラム) 1979年11月
お得なベストアルバムです。この頃は半年に一枚のペースで何かしら出していたようですね。驚きです。アイドル全盛期でもあり、彼等の'3ヶ月ごと(ワン・クール)に1枚ペース'の影響でしょうか。
【Side-A】Emotions Side
1. あなたにはわからない
2. たそがれマイ・ラブ
3. ビューティフル・ミー
4. ミスター・スマイル
5. 砂時計
6. 白い鎮魂歌
7. やさしい人
8. 火のように水のように
【Side-B】Motions Side
1. シンプル・ラブ
2. クリスタル・シティー
3. サファリ・ナイト
4. FUNKY LITTLE QUEENIE
5. STAR-LIGHT TRAIN
6. キャシーの噂
7. ペイパー・ムーン
8. 鍵はかえして!
「FULL HOUSE」
S-7086 (日本フォノグラム) PHCL-8012 (CD)1979年6月
前作の「 FLASH 」で美乃家セントラル・ステイションの第一期が終わり、メンバーが変わる事になりました。良くも悪くも個性の強かった土屋昌巳が抜け、次にドラムの見砂和照が抜ける事になり、私達は全く違う方向で始めようと気持ちを新たにしました。迎えたのはドラムにマーティン・K・ブレイシーとギターに土屋潔(オッサン)です。いみじくも同じ土屋でしたがプレイも性格も全く別人です。新メンバーを加えてより、ソフィスティヶイトされたCity Popをめざし一丸となっていくことを誓いました。美乃家セントラル・ステイション第二期の始まりです。いいバランスでみんな仲が良く、雰囲気は最高でした。早速レコーディングに入るのですが、本来のやり方に戻って私達の手に制作が戻りました。新メンバーの個性を尊重して' Funky & Mellow 'なアルバムに仕上げました。レコーディングが終わるや、韓国の「 ソウル世界音楽祭」に招かれました。私達は「ビューティフル・ミー」を引っさげて乗り込んだのでした。世界13ヶ国のエントリーでグループは私達とテイスト・オブ・ハニーだけ。まさかのグランプリは私にとってもドラマティックな出来事として残っています。
1. 夢を見ようよ

2. STILL I LOVE YOU
3. DANCING GIRL
4. FEEL SO FINE
5. メルヘンの終り
【Side-B】(Mellow Side)
1. ビューティフル・ミー
2. 9月になったらGOOD-BYE
3. SMILE AGAIN

4. ビバリーヒルズ・TYO
5. かげりゆく夏
「FLUSH」
S-7070 (日本フォノグラム) PHCL-8011 (CD)1978年12月
ステージの合間をぬってレコーディングしているかのように、このあたりは怒濤の如くアルバムをリリースしています。よくもこんなに作れたと思うくらいです。レコード会社の意図が見えるようですね。売れてるうちに出来るだけ売ろうというハラでしょうか。しかしこのアルバムはこれまでとちょっと違って半分だけが私達「美乃家」で、後の半分は筒美京平さんによる共同制作です。これだけ立続けに作っていたら皆もネタ切れになって来て当然。それだけではなく、この前の「たそがれマイ・ラブ」が尾を引いていたのです。それまでと比べてダントツな売り上げをした「たそがれ・・・・」に追いつけ、追い越せというのでしょうか。周りのスタッフはそのタイプのものを要求して来ます。そしてバンドだけには任せておけないという雰囲気が出始めました。それだけではなく、大橋純子はソロ・シンガーの方が売れるのではないか・・・と思ったのかも知れません。そんな雑音をしり目に私はこれまでのファンとそこからのファンの間の板挟みでホントにステージがやりにくかった。私達はこれまで続けて来た音楽性を貫く事を主張し、このアルバムの形となったのでした。筒美先生はヒジョーに大人で、メンバーにアレンジをまかせるなど御配慮して下さったのです。
1. サファリ・ナイト

2. 傷心旅行

3. マイ・ソング
4. Hold On, Hold Tight
5. 冬の眠り
【Side-B】
1. 揺れながらミッドナイト
2. メビウスの輪
3. Rouge et Noir
4. ディープ・ソウル
5. 火のように水のように
「たそがれマイ・ラブ」
S-7069 (日本フォノグラム) 1978年11月
デビュー後念願のバンドを作り「大橋純子と美乃家セントラル・ステーション」として、ライブハウスや学園祭など精力的にステージ活動をしている中、企画物の「たそがれマイ・ラブ」が大ヒットとなりました。個人的には複雑な思いがありつつも、レコード会社や事務所のスタッフはこの機を逃すまいと急きょベストアルバムを企画しました。これまでのシングル盤を中心にまとめたのがこのアルバムです。ジャケット写真はステージと東京音楽祭、マジョルカ音楽祭などのスナップをまとめたようです。今となっては懐かしいシーンがちりばめられています。
【Side-A】
1. たそがれマイ・ラブ
2. クリスタル・シティー
3. ミスター・スマイル
4. センチメンタル・レディー
5. 坂の上の家
6. ラブ・マシーン
【Side-B】
1. シンプル・ラブ
2. キャシーの噂
3. 砂時計
4. ジョーク
5. ペイパー・ムーン
6. やさしい人
「沙浪夢 SHALOM」
S-7052 (日本フォノグラム) 1978年6月
「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」の3作目(通算5枚目)。クリスタル・シティーのリリースから約半年ですがこの間にメンバーを固め、実質的に「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」が歩き始めました。新しい色も加わってより、ソウルフルなサウンドに向かって行きます。それまでツインギターだったバンド編成からツインキーボードになり、サックスも加わりました。おまけに新メンバーが個性的(小田、後藤)で作風もこれまでの佐藤、土屋とまた違う個性を持っていたので外の作家陣を頼らずに制作できました。これで万全と、活動も意欲的に楽しいステージが始まったのです。ちょうどライブハウスからホールコンサートに切り替わったところで、コンサート・ツアーもこの頃から定期的にやりだしました。'ニュー・ミュージック'が世の中にすっかり定着したころでしょうか。

【Side-A】
1. JOURNEY TO THE MIND
2. ~パミールの夜明け 季節風便り
3. SOUL TRAIN まっしぐら
4. CHINA DREAM
5. SPANISH WIND
【Side-B】
1. サンバ・デ・カランコ
2. ~アラ・パナマ SUMMER DRAMIN
3. STAR-LIGHT TRAIN
4. JUST FALLIN'IN LOVE
5. 愛のメッセージ
「スペシャル・ブレンド・アルバム」
S-7042(日本フォノグラム) 1978年
バンドでのレコーディングそしてツアーと大忙しの中、CMソングや企業の歌、ドラマの主題歌など歌って来た曲がありました。中でも資生堂のCMソングだった「私今日はとてもがんこです」は一年以上も前(もしかしたらまだ無名に近い頃)にオン・エアされたものでしたが、ずいぶん問い合わせが多かったらしいのです。何とかレコード化出来ないものかと説得されたのですが、急にレコーディングだ、ツアーだと忙しくなったのでそれどころではありません。もともとCM ソングですからサビの部分しかありませんでしたしね。幻の曲になりつつありました。欲がないと言うか・・・今になってみたらCMタイアップの元祖だったかも?。これをふまえて資生堂は次のCMソングを初めからレコード化することを条件に入れました。思惑通りヒットしたのが尾崎亜美の「マイ・ピュアレディー」です。思えば『化粧品のCMソング=ヒット』の図式はこれが始まりだったんじゃないの?!。ライブでも知る人ぞ知るって感じで、時々このCMのリクエストがあったりして。それじゃあオリジナル・アルバムには入ってない、叉はレコード化してない、シングル盤しかないetc.の曲を集めてアルバムを作ろうということになり、このアルバムが出来たのでした。2年近くもたってからのことです。返す返すも惜しい事をしました!。あの時何で、資生堂のCMソングをシングルで出さなかったのでしょうか・・・?。
【Side-A】
1. ミスター・スマイル
2. センチメンタル・レディー
3. 私今日はとてもがんこです
4. フラワー・ブロッサム・ストリート
5. 坂の上の家
【Side-B】
1. ラヴィン・スプーンフル
2. FUNKY LITTLE QUEENIE(英語ロング・ヴァ-ジョン)
3. シンプル・ラブ(英語ロング・ヴァ-ジョン)
4. 夜汽車よ夜汽車
『JUNKO OHASHI 』SPECIAL LOVE VERSION
SNP-74(日本フォノグラム) 1978年1月
45回転の30センチシングル。当時ディスコは洋楽と限られていたにもかかわらず、六本木のディスコで唯一日本語の歌がかかったと評判になりました。シンプル・ラブです。「東京音楽祭」後のホットなニュースでした。レコード会社の粋な計らいでお店用に特別に作りました。今で言うところのリミックス・ヴァージョンといえるかも。歌詞は英訳し、曲も編集して長くしました。あまり見ない珍品ですね。
1. ファンキー・リトル・クィニー
2. シンプル・ラブ
「CRYSTAL CITY」
S-7028 (日本フォノグラム) 1977年11月
「東京音楽祭」で全国区に名を売った私達は学園祭などでステージ活動が大忙しの中、次の制作に入りました。もちろん前作に引き続き「大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション」での2作目です。作家陣も同じく佐藤、土屋、そして前作でも提供してくれた仲間の増尾さん、林さん。作詞家陣も同じ顔ぶれ。松本隆さん、竜 真知子さん、そして私も前作より作詞をし始めました。スタッフもそっくり前作「RAINBOW」からの続きです。皆でレコーディングするのはニ度目になり少し余裕が出て来ました。しかし美乃家自体ではメンバーの移動があり空気は少し違って来ていました。若い時にありがちの理想が高過ぎる事、(美乃家セントラル・ステイションの)名前の由来でもあった要のべーシストが大学卒業のため、という事情で抜けたことが要因でした。何とか制作は切り抜け、ステージもこなし、しかしここでもう一度バンドを建て直さなけば・・・と多忙の中試行錯誤をくり返しました。人の組み合わせと輪(和)がいかにバンドにとって大事であるか、それぞれの音楽センスと信頼、このいいバランスを保ち続ける事がバンド存続の必須条件であると思い知りました。好みも、向かう方向も、理想も違う訳でおまけに若いのですからひとつの道に向かわせるのは至難のわざかも知れません。でもこのいい状態に何とかもう一段登り、バンドとしての安定を計ることに奔走しました。ツアー・スケジュールが目の前に迫っていましたから。
1. クリスタル・シティー

2. 霧に抱かれて
3. FUNKY LITTLE QUEENIE

4. 男と女のいる舗道
5. 落日風景
【Side-B】
1. アラビアン・ナイト
2. 夜のハイウェイ
3. 炎のヒロイン
4. 風のシルエット
5. LIKE A SEA GULL
「RAINBOW」
S-7007 (日本フォノグラム) 1977年4月
「大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション」としての活動が浸透し、世の中に認知され出した頃。暇さえあればリハーサルをしていました。カバー曲を増やすこと、その合間にマー坊(土屋昌巳)が積極的にオリジナルを書いて来て練習、まとまったら次のライブでやってみる。徐々にバック・バンドからバンドそのものの存在までもアピールしだしました。インストものや歌ものなどマー坊の過激な色が加わって個性がより際立ち、他と差別化されるようになりました。次のアルバムの制作には是非バンドでレコーディングしたいと申し出たのは当然の成りゆきでした。念願のバンドを持ち、次にバンドでレコーディングする事。私の理想が現実になって行く絶頂の時でした。こんなメンバーが私の周りにいる事が誇りでしたから。レコーディングは全員リキが入りましたよ。今と違って(打ち込みではなく)ナマでのバンド録音ですから絶対!他とは違うものを・・・という気迫がこもりました。後で聴いてみたらこのアルバムだけ空気感が違うのです。'いきおい'があるんですよ。これ以上早いテンポで演奏が出来ない、っていう奇跡的な(?)曲もありましたしね。このアルバムを引っさげて「東京音楽祭」に殴り込みをかけ、「シンプル・ラブ」で見事「大橋純子& 美乃家セントラル・ステイション」は全国区に躍り出ました。
1. シンプル・ラブ
2. フィール・ソー・バッド

3. 白い鎮魂歌(レクイエム)
4. 二人の夢の島
5. ナチュラル・フーズ

6. ラスト・ナンバー
【Side-B】
1. レイニー・サタディ&コーヒー・ブレイク
2. ラッキー・レディー
3. 愛にさよなら
4. 季節のない街角で
5. 今シルエットのように
「PAPER MOON」
S-7032 (日本フォノグラム) 1976年5月
デビュー盤リリース半年後、すぐに2nd アルバムの制作に入りました。洋楽カバー7割の一枚目と正反対に全曲オリジナルというコンセプトです。このアルバムで作詞家 竜 真知子さんがデビュー、ミュージシャンは歴代(今も)第一線で活躍している名だたる顔ぶれのオン・パレード。何と!、ゴージャスなアルバムでしょうか。作家陣には有望な若手を起用し、なぜか寺尾聡さんが作詞家として登場しています。またジャケットも偶然のたまものではありましたが話題になりました。作詞もしてくれたMarciと彼女の友達のカメラマン飯田安国さんと3人で撮影がてら鎌倉へ行きました。いくつかカットをおさえ、夕方小雨の中で海をバックに最後のカットを撮り終えました。この陰影とバックの海がいきて、暮れて行く一瞬を押さえたまさに、マジックの一カットです。化粧品のポスターのようだと大絶賛されたんですから。このリリースと前後してバンド結成に向け始動し始めました。いよいよ美乃家セントラルステーションの登場になります。結成後はライブハウスや学園祭など積極的に活動し、徐々に大学生を中心に音楽好きの若者に指示されていきました。初代学園祭の女王という栄冠をいただいたのよ、こうみえて。
1. STILL A BOY
2. (愛の祈り) ひとり
3. キャシーの噂
4. 白い午後
5. 心に住めない女
6. やさしい人
【Side-B】
1. ペイパー・ムーン

2. 砂時計

3. 別れのワイン
4. 午前3時の祈り
5. ジョーク
6. ひきしお
「フィ−リング・ナウ」
FX-8067 (日本フォノグラム) 1974年6月
待望のデビューアルバムです。世の中は演歌とアイドルとそれ以外の、まさに歌謡曲というジャンルにくくられていました。洋楽はめざましく、色んなタイプのジャンルから続々と名曲、アーティストが出だした頃です。洋楽コピーを主体にバンド活動をいてきたのでオリジナルはもちろん、日本語の歌詞で歌うのは初めての事。ちょっと抵抗があったのは事実です。私の理想は日本の音楽状況にはまる"歌謡曲"ではなく,洋楽に近い"ポップ ス・シンガー"でありたかったのです。で、その頃では珍しいカバー曲が半分以上と言うアルバムがデビュー盤となりました。プロデューサーの本城さんは、業界に向けて先ずは大橋純子という歌手のアピールをしようと考えたようです。お陰で私はその頃の名曲を歌う事が出来て大満足でした。もしもこれが最初で最後のアルバムになっても悔いはないと・・・。

【Side-A】
2. HE AIN'T HEVY....HE'S MY BROTHER(兄弟の誓い)
3. A SONG FOR YOU
4. LOOK WHAT YOU'RE DOIN' TO THE MAN
5. いつも
6. 突然炎の如く
【Side-B】
1. (LAST NIGHT) I DIDN'T GET TO SLEEP AT ALL(夢に消えた夜)
2. YESTERDAY WHEN I WAS YOUNG(帰り来ぬ青春)
3. KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONG(やさしく歌って)
4. YOU'RE MY WORLD
5. 鍵はかえして!
6. AIN'T NO SUNSHINE